任天堂公認とやると、

多分、子ども向けサービスとして「保護者」も安心できる。
それをネットでも、また携帯に搭載することもできる、そんなこと考えていたんじゃないかなぁ。
こけちゃったようですけど。
まあ、それは邪推かもしれませんけど、そんな売り込みを口先セールスしたっておかしくないぐらい、任天堂ブランドって強いように感じているんですよね。
それは前からだけじゃなく、大人も遊べる、親も遊べる、大人も親も「それがどういうものか感じられる」ものを作っているからだろうと。
DSや、Wiiといった、そういったものを作ってきた実績というのはもの凄い看板になっているんじゃないかなぁ、と。
mixiだとか、モバゲーとか、CMでいくらやっても、やっぱり大人は分からないところがあるわけですが、DSなら分かっちゃう。そういうのは大きいなぁと思うのです。
ゲーム機としてはどうか、なんていうのは私も思ったりするんだですけどね。私、懐古ゲーマーですから(笑い)。
でも、そういうアプローチができそうな「携帯」もののサービスって、他にあまりないように思えます。
そんな意味で任天堂っていうのは、今こうしてみると、利用価値がかなり高いんじゃないかなぁ。
もっとも、そのまま学校教育には持ち込めないでしょうけど。

そういえば、うごはてなってのが、

ありましたね。
問題起こしていて、なにやらやっていますが。
でも、アレってかなり大切な部分だったんじゃないかなと思うのです。
というのは、はてなよりも任天堂がかなり重要なものに感じ始めているからなんですね。
というのは、任天堂は大人も安心して与えられる「携帯」ゲーム機を作っているからなんです。
事実、学校の教育にDSを使おうという試みもあって、それを好意的にニュースで取り上げられたりしている現状があるわけです。
私なんかは、「えー」とか思ったりもしますけど、「ああ、いいことじゃない?」という反応を示す大人が結構普通だったりするようなんですよね。
もちろん、今でもダメだっていう人はいます。それでもかなりソフトな感じで子どもに与えられる携帯ゲーム機として、DSは広く認知されているわけです。
通信対戦をやっていたり、ブラウザもあったりするのにね。これを問題視する人はあまりいないわけです。
そして、それはかなり大切なステータスなのではないかと思えるのです。
もちろん、任天堂が直接携帯電話を作るなんていう話をしたいわけじゃありません。
それは現実的に無理でしょうし、任天堂さんもそんな意志はないでしょう。
でもはてなの方は、どうだったのかな? と思うのです。
「DSでも使われている、子どもも親も安心して使える携帯サービス!」というのは、もの凄い強みになる、そう思っていたんじゃないかなぁと邪推するんですよね。

それにしても、PC教育は

それなりに学校に入り込んでいるんですよね。
ネット教育はまだまだのようですが。
なぜそれが携帯につながらないのか? というのは、結構疑問です。
もちろんそれは、機材が揃わないとか、また今彼らが持っているものを使わせると統一が取れないからという現実的な問題はありますが、それでもPC教育はすんなりと導入されて、携帯電話教育は協議すら見えてこない現状はどうも何かが違うのかな、と思ってしまいます。
そこで考えると、実のところ携帯電話、というのが問題なのかなあと思えるのです。
携帯「電話」ではなく、「携帯」電話であるということが。
電話も昔からありました。ネットだって、PCだって、そんな昔の話じゃないけど、それでもありました。
けれども、保護者だけではなく、大人がもっとも子どもたちに対して警戒心を抱くのは「携帯」電話だから、というのが大きいのではないかと思うのです。
子どもの部屋というのも昔は抵抗があったようですし、子どもの部屋に鍵を付けるというのも、また同じように、いや今でもあるでしょう。
つまり、子どもが自分で所有するものというのは、それがなんであれ、大人が関われるような形でないと、警戒心を抱かせるのではないかなぁと。
もっとも、それも当然でして、子どもが悪いことをするのは、まあ大体はそういう場だったり道具だったりしますものね。
それに、いじめだったり、酷い事件が起きたり、と、携帯電話に警戒心を抱くのは当然でしょう。私だってもっています。
だから、今のような反応になるのは当たり前だと思えもするのです。
でもねえ。
それじゃダメなんだよなぁ、というふうにも思うのです。
恐らくほとんどの大人は分かってはいるけど、対処の仕方が分からない、というのが本当のところなんでしょうけどねぇ。
さてさて……。

で、携帯を禁止し始めると、

そういう感覚が薄れるだろうなぁとは思うんですよね。
これからは新しい業種が必要だとか言っているけど、こういうのも必要なんじゃないのかなぁ。
だから、本当は「新しいネット教育」を学校で教えなければならないのではないのかなぁと思ったりもします。
とは言え、それをどうすればいいのか、と言うのは分かりません。
今の先生たちは、もう現状だけでもキュウキュウだというのは、横で見ていても分かりますしねぇ。
でも、そんな先の見えない話だけじゃなく、かなり現実としても今禁止しちゃうのはやばいだろうというのもあったりします。
だって、私たちの現状では、仕事場でも当たり前の作業でも、それこそ生活でのあれこれでさえも、携帯がなければ話にならないと言う時代に突入し始めているからです。
モトケンさんのブログからですが、
http://motoken.net/2009/01/30-202557.html#comment-5141
こんな話もあるようですし、また私の身の回りでも、スケジュール管理などを全て携帯でやっている会社はゴロゴロしています。
介護の現場とかでもそうですし、コンビニのようなアルバイト先でもそうなっているようです。
それだけじゃなく、ワンルームマンションでは支払いなどを携帯でやり始めていますし、その内公共料金もそうなってくるでしょう。
そしてそれ以外の窓口が段々と少なくなり、携帯電話がなければ生活がしにくいという時代になりかけていると感じています。
今私たちはキャッシュカードを使って色々支払いしていますが、それが将来は携帯になっていたりしても、おかしくはないでしょう。
つまり、日常生活すら携帯に慣れておかなければまともに過ごせないという時代が目の前にきていると思うのです。
だから、携帯電話を子どもの内から教育する必要があるのではないかなぁ。
それこそ、その習熟度が情報格差だけでなく、生活格差に繋がる時代がくるでしょうから。

去年の年末にデジタルネイティブっていう番組があったけど、

なかなか面白かったです。
いやー、凄い子どももいたもんだーとか呑気なことを思いながら眺めていたのですが、それと同時に、もうちょっと違うものがあるんじゃないかなーと、後になって思い始めてきました。
どこかのサイトで子どもの携帯使用率データというのがあったのですが(どこのサイトか忘れたので引っ張ってこれませんが)、そこでは小学生の高学年ぐらいからメールが格段に増え、それから中学3年生あたりでネットの使用率が増えてというグラフがあったのです。
アンケート調査だったはずですが。
でも、あれ、ちょっと違うんじゃないかと思うのです。
アンケート調査というのがミソでして、つまりアレは「子どもたちが携帯をどのように使っていると意識しているか?」というデータが出ているんじゃないかと思うんです。
つまり、正しく携帯を使っているデータが出ているわけじゃないと思うんですよ。
と言いますのは、私は児童館などに顔を出したりすることが多いのですが(青年会などの関わりで)そこで子どもたちと触れていると、どうもおかしいなと思うことがあるのです。
例えば、メールだと見せられたのがmixiニュースだったり、今どんな歌手が好きなの? と聞くと、mixiのコミュニティだったりして、そしてそれらをメールだと認識しているようなのですよ。
彼らは大体小学生ぐらいですが。
友だちから来たメールに添付されたアドレスを開くのを、メールの続きのように感じているようなんですね。そこに区別はないみたいなのです。「だって、携帯で見てるじゃん?」。そんな感じ。
もちろん、PCを使っているような子どもは、そんなことはなかったりします。そこでは区切りを認識しやすいんでしょうね。でも携帯だと、それらは全部地続きで、区分けする理由もあまり感じてないようなんです。
まあそうですよね。だって、友だちとやりとりしている間の話題だったり、他の友だちとリアルタイムで話しているようなものなだもの。
これはネットで、これはメール。そんなことを言っても、感覚的に違わなければ、問題が起きない限り区切りをつける必要性がないんでしょう。
ですから、さっきのデータはそういう区切りを知識として仕入れてきただけじゃなくて、必要になり始めて、そこでようやくそうだと認識し始めてきたものなんじゃないかなぁと思えるのです。
そして、デジタルネイティブっていうのは、実はプログラム技術が凄いとか、すぐに新しい機器が使えるとかそんなのではなく、「そういう感覚を最初からもっていること」、そのものなんじゃないかなぁと思い始めたのです。
デジタルネイティブというのは、技術で実現する、その何かを感覚で分かっている子どもたち。つまり、「これから先使えるようになるであろうイメージ」を持っているっていうことなんじゃないのかなぁ。
これは、恐らく彼らじゃないと、分からないようなものではないのかなぁと思えるのです。
よほどの天才でもない限り。
だって、彼らは私たちが見ているものとは違うものを見るように、ネット、メール、携帯というものを見ているのですから。
新しい発想とか、そういうものをイメージする土台が、そもそも違っているし、そして新しいイメージはこれから彼らが生きるであろう世界で使われるものなのですし。

携帯電話持ち込みが禁止って話だけど、

正直言ってどうかなぁ、と思うのです。
色々問題が起きていて、それで保護者の方々が心配になるのは分かるけど、この対処法はちょっとまずいんじゃないかなぁ。
勉強に不必要だって言うけれど、それじゃあ勉強以外のことも学べる場所といっていたのはどうなったの? とか、そもそも携帯電話も勉強の一貫として必要なツールになっているんじゃないの? とか、そういう疑問が湧いてくるのです。
とは言え、家庭の教育力という問題もあったりで、学校としては(その大元管理の文部省としては)こういう対処法が一番手っ取り早かったのも事実だと思うんですけどね。
確かに、どうしたらいいんでしょうね。難しいなぁ。

とまあ、久しぶりに書いてみたけれど、

基本的に私はあまり断定的な事書けないし、あんまり書きたくないんで、むしろ考えている過程をそのまま写しちゃえっていう感じでやっていく方が気楽かなーと。
ずっと書いてなかったのは、考えが纏まらなかったからだし。
実はリンクの仕方とか、マナーとかがよく分からなかったので、悩んでいたというのもあったりするんですけどね(笑い)。
まあ、こんな感じで、おっとりのんびりやっていったら……まあ、読む人あまりいないだろうし、これでいいんじゃない? と。
その内リンクしてみたり、トラックバックやってみたりしてみたいです。
まあ、そもそもはブログの書き方を覚えたいっていう動機だったから。
……いいんかな? こんなんで(笑い)。