表現の自由については、

 正直、あまり発言したくないなぁ、というのが率直なところです。
 居心地が悪いし、生身の状態で(現実社会の消費者個人として)話すのも躊躇われるような対象でもあるので。
 しかし、下記でブックマークコメントをした以上、一応個人としての考えは出しておいた方がいいのかなぁと。


http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090611/p1


 私個人としては、表現の自由は最大限尊重するべきだとは思っています。
 けれども、同時にそれによって傷つく人、そもそも差別的コードで楽しむという商品である以上、そこには自主規制というなの配慮がある程度必要になってくる事項ではあると思っています。
 他の日記(痴漢ゲームをしていたら、 - ぼんやりつれづれ)ではネットで傷つく人の実例を出しましたけれども、そうじゃなくてもああいう差別的コードを楽しむ商品というのは、どうしたってマナーが必要になってくるブツだと思うのです。


 以上から、表現の自由は歩けれども、他の人たちに対してある一定の配慮を国の規制という形ではなく自主的に行いましょう、というのが私の立場です。


 そして、その自主規制の現在表れている形がソフト倫理機構だというのは、ある種の表明になっているはずなんじゃないかと思っていたんですけどね。


 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E5%80%AB%E7%90%86%E6%A9%9F%E6%A7%8B


 元々、そういった差別的表現に対するマナーをどうするかという応答ということで作られた団体だったはずで、ここの動きが今回あまりにも外部に対して(消費者たちに対して)鈍かったというのは、ちょっとどうだったんだろうと思っています。


 実のところ、今回の発端であるレイプレイ海外流通については、Amazonに対して、ソフト倫理機構が抗議すべき事柄だったのではないか、もしくは、Illusionに対して(ここはこのソフトウェアメーカーがどのような経緯で流通したのかがよくわからないので一概に言えませんが)注意すべき事柄だったのではないかと思っています。
 実際、Illusionは自粛をしたようですが(詳しくはちょっとわかりませんでした)、私たちとしては、すでに自主規制の形として、今そういった構造を持っていますよ、組織を持っていますよ、というのがまあとりあえずの筋なのでしょう。
 また、今回の流通については、私たちの責任ではなく、そのような行為をした(いわばマナー違反した)相手にちゃんと抗議するべきだったと言うことになると思っています。
 そして、ソフトウェア倫理機構は、そこをどうしたのかはわかりませんが(すっとばしちゃったような印象を受けるんですが)、自主規制を強めるという対応をしたわけなんですよね。
 そこに怒るのならば、私はどちらかというと、その説明不足を(消費者側に対して)怒るべきだったんじゃないかなぁとは思うんです。
 もっとも、私はソフトウェア倫理機構は、それなりに良くやっていると思うんですけどね。
 消費者たる私たちに、あまり届いていないんじゃないのかなぁとも思いますが。


 けれども、一応その自主規制のところでのやりとりが、どうもすっ飛ばされて(正確には製造側への説明がメインで消費者側にはほとんどアピールされていないというだけなのでしょうが)いるので、今この問題が消費者としての私たちに直接降りかかっているというのが(それが実際かどうかはともかく感情として)現状なんじゃないかなぁと思っています。


 結果として、自主規制は強められたわけですから、私たちも規制されたように感じるのは当然なんですけれども。


 そして今出てきている規制は、いわゆる国の規制というものになってきました。というよりも、今問われている規制はどれかと聞かれたら、それだと答える人が多いのでしょう。
 それで、なんだか困ったことになっているんじゃないかなぁと、今の現状を見ると思っているわけなんです。


 もちろん、私たち個人がEquality Nowの問いかけに対して、きちんと耳を傾ける必要はあると思っています。答えるかどうかは別ですが。
 そもそも、それに応えるための機構を私たちは持っているはずなので(再三言いますがソフトウェア倫理機構)、個々人で応えることでは、必ずしもないものだと思っています。
 また、その応え方が問題あったというのであれば、その批判はEquality Nowではなく、ソフトウェア倫理機構にまず向けて、そこで圧力があってどうしようもないと言うのであれば、その圧力に向けるべきではないかと思っているわけなんです。


 国の規制はまだ当分先でしょうが(国会通さないといけないし)、もしもそれに対してきちんと対処しようとするのであれば、まず私たちのマナー、TPOといったものを十全にソフトウェア倫理機構に発信してもらう必要があるんじゃないかと思っています。
 というよりも、まずはそこだろうと。
 そして、私は今現在のソフ倫の対処を支持しています。これですべてうまくいくとは思っていませんが、一つの答えとして、まあ落ち着きどころだろうと。
 その上で、かつ、私たちにできる配慮とは何かを自問自答すべきではないかと思っています。